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17話 赤い指

作者: 九重有
last update 公開日: 2026-06-29 06:03:29

赤い爪が、拓哉の袖を引いていました。

ほんの少しの動きでした。それなのに愛梨沙には、濃紺の布が女の指に取られていくように見えました。

拓哉は袖口を見て、それから麻里亜の手を見ました。

「麻里亜」

名前を呼ぶ声は、まだやわらかく聞こえました。

けれど昨日のラウンジで聞いた声とは違います。店員に向けた丁寧さも、麻里亜に向けた甘さも、そこには少ししか残っていませんでした。

麻里亜は手を離しません。

「なに? 名前呼べば済むと思ってる?」

赤い爪が、濃紺の袖をさらに引きます。

拓哉は周りを見ました。朝の細い道に人は多くありません。通勤の靴音が駅の方へ流れていき、ホテルの裏口では清掃の人がワゴンを押していました。

愛梨沙は店のガラスの陰に身を寄せたまま、息を浅くしました。

見つかりたくありません。

でも、離れたくもありません。

(だめだよ。そんなに引っ張ったら、拓哉さんが困るよ)

麻里亜の声は小さくなりました。小さくなったぶん、言葉の先が細く刺さります。

「昨日だってさ、帰るの早かったよね」

拓哉は答えません。

「ピアス渡して、ちょっと優しくして、それで終わり?」

「そういう言い方、やめよう」
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